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今月のコラム 松尾剛(2011年5月)  『クレーヴの奥方』騒動余話

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松尾剛(専門分野:フランス語)

 歴代のフランス大統領は、文化に対する深い敬意を示してきた。斬新な美術館の建設者であるポンピドゥー、小説家でもあるジスカール・デスタン、新オペラ座と新国立図書館を残したミッテラン、日本文化への偏愛で知られるシラク。誰もが文化の擁護者をもって自任してきた。
 これと好対照をなすのがサルコジ大統領である。彼は伝統的なフランス文化に関心を示さず、とりわけ文学への軽蔑を隠さない。古典研究のために税金を使う必要はないとする発言などは、その好例だろう。その彼が文学の無益さを象徴するものとして、繰り返し言及するのが恋愛小説の古典『クレーヴの奥方』である。たとえば2006年には「公務員試験で『クレーヴの奥方』に関する知識を問うのは馬鹿げている」と述べ、2008年には「公務員は『クレーヴの奥方』を暗唱できずとも、仕事上の能力に応じて評価されるべきだ」とも主張している。
 こんな発言が巻き起こしたのが、近年の『クレーヴの奥方』騒動だ。まず2008年には若手映画監督のクリストフ・オノレが、同作を現代劇として翻案した『美しいひと』を制作。その翌年には、新自由主義的な大学改革案に反対する学生や教師が『クレーヴの奥方』朗読マラソンを実施したところ、これが一般人を巻き込んでフランス中を席巻。まさに『クレーヴの奥方』は「収益優先の思想に対する抵抗のシンボル」(『エクスプレス』誌)となったのである。なお、この騒動にともない、同書の売り上げが急上昇したのは、官邸にとって皮肉という他ない。
 それにしても、語調も激しく自国の文化遺産を貶める大統領の姿勢には、驚きを禁じ得ない。従来のフランス元首が、文化事業をとおして威名を後世に伝えんとしたことを思えばなおさらである。しかしながら、これを文学への関心を欠いたサルコジ個人の性向に矮小化するのは慎むべきだろう。1990年代以降、中等教育において文学の占める位置が低下しつづけているのは否みようのない事実であり、文学的教養を軽視する大統領の発言も、その延長線上でなされたものなのである。したがって、大統領の文学批判に眉をひそめるどころか、それを後押しし、あるいは喝采を送ったフランス人も少なからず存在するはずなのだ。
 もちろん教師たちも、文学軽視の趨勢を拱手傍観しているわけではない。2000年には教員有志による団体『文芸を救え』を結成、ウェッブサイトを開設することで、自らの思想信条を表明する場とした。同サイトは、今日に至るまで、新自由主義的教育政策に警鐘を鳴らしつつ、文学教育の重要性を訴えつづけており、そのメッセージは実に興味深い。なかでも、教育の本質にかんする同会の思想は、本邦の議論にも有益であると思われるので、ごく簡略にではあるが紹介しておこう。
 同会によれば、教育の目的とは、企業の労働力や未来の消費者を創出することに存するのではない。批判的に物事を考え、正しく推論することを教えることで、若者を自立した市民へと成熟させることこそが、教育の真の目的なのだ。したがって教師たちが要求するのは、学習者の歓心を買うような「快感の教育学」ではなく、彼らに生きて行動する力を与えるために、厳しい知的訓練を課すことも辞さない「解放の教育学」なのである。
 なるほど、『文芸を救え』の主張を、文学教師の既得権擁護と非難するのは容易い。あるいはこれを、教育界におけるヘゲモニー争いとして俯瞰することも可能だろう。だが学校教育を市民的成熟の場と定位する同会の主張は、日本の教育論議にも重要な示唆を与えてはいないだろうか。高等教育の問題が、しばしば受益者負担の観点から語られがちな本邦の議論状況を見るにつけ、その感を強くするのである。

松尾剛(専門分野:フランス語)

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