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今月のコラム 木村和成(2011年12月)  大審院(民事)判決研究の新たな地平

はじめに

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木村 和成(専門:民事法学)

 最高裁判所によって一度は廃棄決定がなされた民事判決原本は、その歴史的・学術的史料としての価値を高く評価するさまざまな人々の努力により、現在、国立公文書館つくば分館に保存され、一定の手続を経て閲覧することが可能な状態になっています(原本保存の経緯や、その研究の意義については、林屋礼二ほか編『明治前期の法と裁判』〔平成15年、信山社〕所収の諸論文をご参照ください)。私は、これらの史料のうち、特に大審院民事判決原本(以下、「判決原本」と略)に関心を持ってその分析を進めていますが、作業中の現段階において、いくつかの成果が得られています。ここでは、これらの成果と、その学問的意義につき私の考えるところをかんたんにご紹介したいと思います(詳細については、木村「大審院の迷走」立命館法学327・328号〔平成22年〕および同335号〔平成23年〕から連載中の木村「大審院(民事)判決の基礎的研究」をご覧ください。以下では、それぞれ「迷走」、「研究」と略します。)。

                                            

民集登載/不登載基準の解明

 民集への登載の可否が、大審院判例審査会によって審議・決定されていたことは本学の大河純夫名誉教授の研究などによって明らかになっていますが、判例審査会に関する史料の乏しさもあって、その基準はまったくわかっていません(判例審査会の「実態」については、少しずつ明らかになってきている部分もあります)。民集に重要な判決が掲載されていることは確かなようですが、明らかに先例と抵触するような判決が民集への登載を見送られていたり(「迷走」266~271頁)、まったく同じ命題を示しているとみられる2つの判決のうち、先に出された判決は民集に登載されず、それから数年後に出された判決のほうが民集に登載されていたりする(「研究2」543~544頁)など、判決の重要性のみで民集登載の可否が判断されていたと単純に言い切れないところがあります。判例審査会に「判例統一」の意図もあったことも考慮すれば、登載基準を解明することは、当時の大審院が何を「判例」とするつもりだったのかという点を明らかにすることにもつながります(民集という判例集そのものの意義もあわせて再検討することが必要です)。そのためには、民集登載判決を分析するだけでは足りず、判決原本に収められている民集「不登載」判決の分析が不可欠になってきます。

 

判決文の起草を担当した「受命判事」の特定

 川井健教授は、その著書『民法判例と時代思潮』(昭和56年、日本評論社)の9頁以下において、裁判官の判断の形成には――当事者の主張した限度内という制約は別として――、①裁判官の個人的判断、②判例、③学説、④時代思潮という少なくとも4つの主要な要因があると指摘し、(川井教授が同書で取り上げた諸判決の下された時期では)裁判官の判断は、客観的には、時代思潮の影響の下に、裁判官の「個人的判断」により形成されていると結論付けています。④の点からの分析は、まさに川井教授の上記著書の主題となっていますが、①の点については、当時の裁判官の経歴やものの考え方、見方も、分析の対象として必要なこととしつつも、資料不足を理由として、同書では問題の指摘にとどめられています。判決に最も深くかかわっていた、もっと言えば判決文を実際に起草した裁判官が誰であるかが判然としなかったことがその最大の理由であろうと推測されます。これが分からない限り、①の点からの分析は不可能だからです。

 実は、判決原本の中に、この「壁」を越える手がかりがあります。

 判決原本を開いてみると、判決冒頭部分の欄外に判事名の墨書がありますが、判決文の訂正・修正箇所に押されている修正印(朱印)がことごとく墨書の判事名と一致することなどから、私は、この墨書の判事名は当該判決を起草した受命判事を示すものと考えるのが最も自然だろうという結論にいたりました。つまり、判決原本に当たれば、その判決を起草したのは誰かということが判明し、川井教授が指摘する①の点を分析する手がかりを得ることができるわけです。

 

新たな地平――受命判事の視点から判決を読む

 周知のように、大審院判決には現在でいうところの調査官解説のような判決の核心がみえるものが存在しませんので、これまで私たちは民集などの公刊物の字面から判決を分析するしかありませんでした。しかし、大審院判決は、民集に掲載された「判決要旨」(判例審査会が決定していた模様)の文脈で理解されることも少なくなく、判決理由と判決要旨との間に齟齬がみられる場合もあります(例えば、大判大正14・11・28〔大学湯事件判決〕。なお、ここには判例審査会についての上記の問題も伏在しています。)。これらのことをあわせて考えると、そもそも大審院判決が――今日の最高裁判決ほどに――正確に理解されているといえるのか、という根本的な疑問が生じてくるのです。

 当時の大審院判事の中には、職務のかたわら教科書/体系書を公刊したり(多くの判事が私立大学の教授を務めていたことも関係していると思われます)、学術雑誌に論文を発表したりするなど、精力的な研究活動をみせる者も少なくありませんでした。それぞれの判事における法律学の結晶とでもいうべき著作は意外と多く残されており、判決原本の分析により受命判事を特定し、その判事の著作を精査すれば、川井教授がいうところの判決における「裁判官の個人的判断」の一断面、場合によってはその判決の核心が浮き彫りになる可能性があります。

 例えば、先に触れた大学湯事件判決は、一般には、民法709条の権利侵害要件を法律上保護される利益の侵害の場合にも拡張したものと評価されていますが、本判決を起草した受命判事前田直之助がこれ以前・以後に示している709条の考え方からすれば、大学湯事件の読み方はかなり違ったものになります(「研究1」550~556頁)。また、破産法上の否認権に関する判決(大判昭和3・3・9)を起草した岡村玄治は、判決後まもない時期に「破産法上ノ否認権」(法学新報38巻6号23頁以下)という論文を公表しており、これを読むと、上記判決の理論的素地を知ることができます。

 これらのことから、受命判事を特定したうえで、その判事の著作群(あるいは判決群)の分析から固有の法理論を抽出し、その視点から判決を分析するという作業は、その判決のより正確な理解・位置づけのための格好の素材を提供することになるのではないかと考えています。

 

その他の成果

 判決原本の分析から、民集等に登載されている判決は、実は一部が脱落していたり、受命判事による加筆や修正を経たりしたものであることが判明しています。脱落部分に重要な判断が含まれていることもありますし(「研究2」546~552頁など)、加筆が重要な意味を持っていると考えうる部分もあります(「研究1」551頁)から、復元した判決を改めて分析する必要があります。

 このほか、判決原本に記載された原判決年月日を手がかりに、下級審判決を検索し、下級審判決原本や訴訟経過を正確に捕捉することも可能になっています。しかし、「研究2」556~558頁に述べたように、下級審判決原本の捕捉には一定の検索テクニックが必要な状態にあり、そもそも原本がまとまったかたちで失われている場合もありますから、下級審判決の捕捉はやはり容易ではありません。

 

おわりに

 このように、判決原本の分析から得られる成果は、学問的に一定の意義を持っていると考えられ、これらの成果に基づく大審院(民事)判決の分析は、場合によっては、ある判決についての共通理解を大きく変える可能性をはらんでいます。判決原本は、単に歴史研究の対象としての史料的価値を有するだけでなく、現在の民事法学にも新しい理解と視点をもたらしうる極めて重要な資料なのです。

 しかし、判決原本へのアクセスにはなお課題が残されています。つくば分館への交通アクセスの問題はさることながら、閲覧申請から実際の閲覧にいたるまでひと月程度の時間が必要であり、さらに閲覧申請は一度に5冊までと定められているため、作業がなかなか前に進まない状態にあります(判決原本はひと月分が分冊化されていることが通常ですので、ひと月分を閲覧するのに2か月待たなければなりません)。その一方で原本の劣化はますます進んでいくでしょうから、できるだけ早期の、――明治23年分までのような――全面的なデータベース化あるいはデジタル資料化が望まれるところです。

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