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今月のコラム 大下英希(2012年1月)  刑法と他法との関係、あるいは刑法の役割 -詐欺罪を例に-

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大下 英希(専門:刑法)

 刑法が他の法律(法領域)とどのような関係にあるのかは、長く議論されてきた問題である。

 例えば、自己の口座に誤って振込まれた金銭を払戻す行為に財産犯が成立するか、という問題が議論されている。
 従来の刑事判例は件の行為に対して、誤振込みであることを秘して窓口から払戻しを受ければ詐欺罪として、ATMを利用して払戻しを受ければ窃盗罪として処断してきた。その理由は誤振込み金は振込む意思なく振込まれたものであって、受取人と銀行の間に有効な預金債権が成立しないからだと説明されていた。
 それに対して、誤って振込まれた金銭を含む預金を差押さえた者に対して、誤って振込んだ者が第三者異議による排除を請求した民事の事案で、最高裁は「振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず、受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人が銀行に対して右金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当である」と判示した(最判平成8年4月26日民集50巻5号1267頁)。
 これにより、誤振込みにおいては有効な預金債権が成立していないという、財産犯を成立させてきた刑事判例の前提が覆ったこととなり、その後の刑事判例に注目が集まった。
 ところが最高裁は、誤振込み金を情を秘して窓口から払戻した事例において、平成8年判決を踏まえた上でもなお詐欺罪の成立を肯定した(最決平成15年3月12日刑集第57巻3号322頁)。この決定に対して現在も議論がされているが、両判例を肯定した上で整合的に理解しようとする立場からは、預金債権が有効に取得されるとしても(したがって差押えることはできるが)それを払戻すことはできないとしたものだ、と説明されていた。
 しかし、さらにその後最高裁は、法律の原因なく振込まれた預金の払戻しを求めた民事の事案で、預金債権の成立を肯定した上でその払戻し請求も許されるとするに至っており(最判平成20年10月10日民集第62巻9号2361頁)、これは、上記の説明が成功していないことを示している。
 
 さて、以上のような実務の状況を我々はどう解するべきだろうか。民事判例に従えば、誤振込み金であっても預金債権は成立しており、払戻しを受けることも可能だと思われる。しかし、刑事判例では、払戻しを受ければ犯罪が成立する可能性があるとされる。
 これでは民事法では許容される行為を、刑法によって処罰することになるように思われるが、そのような法評価の矛盾は許されるのであろうか。
 
 刑法と他の法律との関係は次のような事案でも問題となる。正規に航空券を購入した名義人が、それを利用して某国へ不法入国しようとする第三者に譲渡する意図を秘して、窓口で航空券を搭乗券に交換した場合に詐欺罪が成立するか、という事案である。
 最高裁は本事案について詐欺罪の成立を認めた(最決平成22年7月29日刑集第64巻5号829頁)。
 ここでの問題は、行為者はその航空券の正規の購入者であるという点である。つまり、行為者の行為は外形上通常の乗客と全く変わりがない。にもかかわらず、なぜ詐欺罪という「財産に対する犯罪」が成立するのであろうか。正規の航空代金を受領している航空会社にどのような損害が生じているのであろうか(詐欺罪における損害概念については刑法学上さまざまな対立があり、相当対価の支払いの有無にかかわらず搭乗券の交付そのものが損害だとする説が有力に主張されているが、その点はひとまず置く)。
 
 この事案は、某国への不法入国を目指し行われた行為であり、本来であれば出入国管理あるいは航空運送といった領域で論じられ、規制されるべき問題である。しかし現在の法律では本事例のような行為を直接規制する規定はないように思われる。
 ではこのように、その行為の規制を論ずべき法領域において特段の措置が取られていない場合に、刑法がその行為を処罰することは許されるのであろうか。
 
 確かに、これら2つの例に登場する行為者は「けしからん(少なくとも好ましくない)者」である。当該法領域に規制する規定がなかったとしても、不法出入国グループの片棒を担ぐ者は「けしからん者」であろうし、自己の口座に身に覚えのないお金が振り込まれている場合に、その事情を秘して引き出し、自分のものとしてしまおうとする者は、たとえ民法解釈としては許容されるとしても、やはり「けしからん者」であろう。
 刑法の役割がけしからん者を取り締まることなのであれば、その役割に従っている上述の刑事判例に問題はないとする考えもありうる。
 
 しかし、従来刑法は第二次規範であるといわれてきた。すなわち、刑法は民法などの第一次規範による権利設定およびその法的保護を前提として、第二次的にその保護をはかるものであるというのである(法秩序の統一性、刑法の第二次規範性)。また、刑法は刑罰という最も峻厳な制裁手段を有することから、その発動は他の制裁手段では不十分である場合に、補充的に行われるべきであるともいわれる(刑法の謙抑性、最終手段性)。
 そうだとすれば、第一次規範である民法が誤振込み金の払い戻しを許容するというのであれば、その行為を刑法が処罰すべきではない。不法出入国の問題は、まず出入国管理法、旅券法、航空法などにおける規制が問題とされるべきであり、それらの法が特に規制を設けていないのであればその趣旨を尊重すべきであろう。
 
 近時刑法に対しては、我々の生活の安全・安心を担うという大きな期待が寄せられており、多くの刑事立法がなされているところである。しかし、刑法が当該犯罪の処罰を超えた目的を担った時に起こる悲劇は、歴史上枚挙にいとまがない。刑法が果たすべき役割を今一度考えるべき時代が来ているように思われる。
 
 そしてこのような時代において刑法学はどのように貢献できるのであろうか。刑法そして刑法学の存在意義が改めて問われている。

 

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