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今月のコラム 河野恵一(2012年3月)  「喧嘩両成敗」を通じて考える日本法の歴史

●広く知られる「喧嘩両成敗」

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河野恵一(専門分野:日本法史)

 「喧嘩両成敗」。多くの人がこの言葉を耳にしたことがあることと思います。

 筆者が担当している講義「日本法史」においても学生の関心は高いようです。定期試験で、テーマを各自で設定の上自由論述をさせる問題を出したところ、かなりの数の受験者が「喧嘩両成敗」をテーマに選び、各自の経験と講義の内容を踏まえた考察を披露してくれました。また、2002年の小泉純一郎首相による田中真紀子外務大臣および野上義二事務次官(いずれも当時)の更迭劇に代表されるように、国政や企業の統治などの場面において「喧嘩両成敗」が引き合いに出されることもままあります。

 筆者が重要だと考えているのは、「喧嘩両成敗」という考え方が現代を生きるわれわれの間で、その評価はどうあれ広く知られており、時として有効に機能している、という事実です。この「喧嘩両成敗」の考え方は、先行研究によると中世後期(室町~戦国時代)に成立し、近世を通じて社会的に定着したとされています。つまり、そこから現代までこの考え方が連綿と受け継がれてきたということになります。その意味で、「喧嘩両成敗」は日本における法と社会との関係の歴史を明らかにする上で、大変重要な素材であると考えられるのです。

 

●これまでの「喧嘩両成敗」研究と残された課題

 周知の通り、わが国では近代以降、西洋法体系を全面的に継受しました。その基本的な考え方に従えば、相争う両者の理非を糺明することなく双方を処罰する「喧嘩両成敗」は全く不条理なものであることはいうまでもありません。にも拘わらずなぜそれが近代以降も生き延びているのか。明治時代後期に三浦周行氏が「喧嘩両成敗」を初めて学術的研究の対象として採り上げた理由もそこにありました。以後の研究において、「喧嘩両成敗」が法令として制定される過程、及び近世以後に法的慣習としてどのように機能してきたか、についてはかなり明らかにされてきました。しかし、これだけでは上記の問題関心に充分な回答が得られたとは言えないように思われます。なぜなら、これらの研究を踏まえて改めて「喧嘩両成敗」を通史的に見た場合、中世と近世との間にミッシングリンクが認められるからです。

 中世における「喧嘩両成敗」の法令化について論じられる場合、それは中世における紛争解決の場面で広く正当性が認められていたとされる自力救済行為が、国家権力によって強権的に否定されていく過程のひとつの到達点と位置づけられるのが通説です。他方、近世における法的慣習化した「喧嘩両成敗」については、紛争当事者を納得させるための理屈として、両者を等しく処罰することが正当だとする考え方である、と説明される場合が多いのです。あえて図式的に言えば、中世においては「理非を論じない」という強権的側面が、近世においては「双方を等しく処罰する」というある種の衡平的側面が、それぞれ強調されているのです。そして、この両者をつなぎ、整合的に説明することに関する検討が、これまでは充分になされていないと感じられるのです。この課題を解決する試みを通じて、「喧嘩両成敗法」の本質をより深く理解するとともに、わが国における紛争処理のあり方について再考することが、当面の筆者の目標です。

 

●「喧嘩両成敗」研究の可能性

 上述のミッシングリンクをつなぐことでなにが見えてくるのか。いまだ構想段階に過ぎませんが、ひとつだけ挙げておきます。それは、いわゆる「日本的法意識」の問題、中でも紛争およびその解決に対する考え方について新たな知見を提供できるのではないか、ということです。

 上述の通り、「喧嘩両成敗」には「理非を論じない」という側面と「双方を等しく処罰する」という側面とが併存しています。中世を対象とした研究では前者に重きが置かれてきたわけですが、実はその中に後者の萌芽を見ることができ、それが近世の法的慣習としての「喧嘩両成敗」につながる、と考える論が少数ながらあります。しかしそれらは可能性の提示にとどまっており、今後さらに研究を深めていく余地があります。そうすることで、「喧嘩両成敗」の中世と近世とをつなぐ可能性が高まるからです。この作業を通じて、「双方を等しく処罰する」=白黒をつけない紛争解決の考え方がどのようにして生まれ、変化し、現在まで存続しているのか、を通史的に明らかにできると考えます。

 白黒をつけない紛争解決観は、「日本的法意識」論においてしばしば批判の対象となってきました。しかし、例えば米国におけるADRの発達などを考えると、単なる批判の次元にとどまっていてはその本質に迫ることは困難でしょう。筆者は、法史学の立場から、この問題の解明に寄与していくことを将来的な課題のひとつとして位置づけています。

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