1. HOME >
  2. 今月のコラム >
  3. 吉村良一(2013年4月)  原発事故と損害賠償

今月のコラム 吉村良一(2013年4月)  原発事故と損害賠償

column201304.jpg

吉村良一(専門分野:民法・環境法)

(1)東日本大震災にともなって福島原発事故が起こってから2年が経った。しかし、事故は、依然として収束していない。事故原因についても、複数の調査報告書にもかかわらず、東電が主張するように津波のみが原因であったのか、それとも、地震の揺れによる重要設備の毀損があったのか、あったとしてどの程度であったのかは依然として闇の中である。他方で、この事故によって発生した広範かつ深刻な被害に対する「補償」の動きが本格化している。3年が経過した場合、消滅時効の問題が浮上し、その意味でも、早期の取り組みは不可欠である(文科省は、和解交渉が不調に終わってから一定の猶予期間を設けるという法案を準備していると聞くが)。

(2)被災者が「補償」「救済」を求める場合、東電に対する直接交渉、「原子力損害賠償紛争解決センター」を通した請求、訴訟の3つのルートが存在する。このうち、第1のルートと第2のルートにおいて重要な役割を果たしているのが、原子力損害賠償法に基づく原子力賠償紛争審査会(以下、審査会)の「指針」である。
 「指針」は、内容的には、多数の損害項目を上げ算定の基準を示しており、審査会が、原発事故被害をできるだけ広く拾い上げようと努力していることは評価できないわけではない。特に、「消費者又は取引先が・・・・本件事故による汚染の危険性を懸念し、敬遠したくなる心理が、平均人・一般的な人を基準として合理性を有していると求められる場合」として、一定範囲の「風評被害」も対象としていること、避難生活等を余儀なくされたことに対する精神的損害の賠償を「自主避難者」についても認めることになったこと、「除染等に係る損害」として、「必要かつ合理的な範囲の除染等を行うことに伴って必然的に生じた追加費用」や「住民の放射線被曝の不安や恐怖を緩和するために地方公共団体や教育機関が行う必要かつ合理的な検査等に係る費用」を賠償すべき損害と認めたことなどは重要である(ただし、その補償額には批判も強い)。
 しかし、「指針」は、原発事故被害が持つ、被害規模の大きさ、被害の継続性・長期性、生活の根底からの破壊を引き起こすといった特質を踏まえているのか、安易に、交通事故における賠償論に依拠してしまっているのではないかといった疑問があり、また、個別の損害項目への細分化の結果、果たして、個別被害が絡み合って被害者にのしかかっている被害の全体像がとらえきれるのか、個別被害が賠償されても被害者の生活が回復されないといったことにはならないのか、休業補償に典型的なように、過去に生じた被害の填補に目が向き、将来の生活再建という視点が弱いのではないかといった疑問もある。
*大島堅一『原発のコスト』(岩波新書2011年)47頁以下は、「中間指針の策定作業においては、被害者、被害事業者、関連
団体・機関、関連省庁のヒアリングがされたこともあり・・・・損害賠償されうる被害を包括的に記載したものとなっている」とするが、同時に、「被害の総体」の全てが補償されるべきであるという視点から指針の問題点を指摘し、「中間指針では、生活再建の視点が欠如している」と批判する。
 いずれにしても、「指針」自身が述べているように、この「指針」は当面の被害のうち「類型化が可能な損害項目やその範囲等」を示したものであり、「指針」に明記されていない損害が賠償されないということのないよう留意すべきであり、したがって、東京電力との交渉においても、ADRにおける補償においても、さらには、今後、予想される損害賠償訴訟においても、このような指針の性格(限界性、暫定性)を十分理解し、いわば、これが最低限の補償であるとの立場からの議論が必要である。
 
(3)この間、本件原発事故に関して、すでに、様々な訴訟が提起されているが、注目すべきは、集団訴訟の動きである。まず、昨年の12月3日に、「福島原発避難者損害賠償請求訴訟」が提訴された。原告は避難者(提訴時18世帯40名)、被告は東京電力、請求内容は避難を強いられることによって生じた損害の賠償、根拠は(原賠法ではなく)民法709条である。訴状によれば、被侵害利益は、「人間が生涯にわたって地域やに人と関係を築き、蓄積し、人間らしい生活を続け、命を次世代につないでいくプロセス」=「人格発達権」の侵害と、地域の放射能汚染により奪われた「平穏生活権」侵害である。このような被害は、総体として把握されるべきであり、その賠償に当たっては、原状回復理念による規範的考慮が必要である。具体的な損害項目は、①避難に伴い生じた客観的損害(移動費用、生活費増加分)、②休業損害及び逸失利益、③避難生活に伴う慰謝料、④財物(生活の基盤)を喪失したことの損害、⑤コミュニティを喪失したことの損害である。このうち、⑤に対する慰謝料については個別の財産の損害評価とは別に2000万円を下らないとして一律額が請求されているが、①から④については、原告によって請求額には違いがある。
 さらに、今年の3月11日には、4つの集団訴訟が、福島地裁等に提訴された(原告の合計は、4訴訟の合計で約1700人)。その中の一つである「福島原発事故原状回復等請求訴訟」について見れば、原告は事故勃発当時、福島県およびこれに隣接する地域に居住した者であり、被告は東電(ここでも、原賠法ではなく民法709条)と国(規制権限不行使による国賠法1条の責任)である。請求内容は、一定の線量以下にせよとの、いわゆる抽象的不作為請求(具体的には除染を求めることになる)と、「全ての原告に共通する精神的な損害の一部(内金)」として一律に月5万5千円の慰謝料(すでに発生した分と一定線量になるまでの期間の分)である。訴状によれば、被侵害利益は「放射性物質によって汚染されていない環境において生活する権利」=「放射線被ばくによる健康影響への恐怖や不安にさらされることなく平穏な生活をする権利」の侵害である。原告は、この平穏生活権は「身体権に接続する平穏生活権」であり、絶対権である身体権に準じて取り扱われるべきとする(訴状は、「放射線への被ばくによる発がんの危険性に重大な懸念を感じる心理は、平均的・一般的な人を基準にしても合理的なものである」とする)。線量低減に向けた請求は、「人格権に基づく原状回復請求」と「不法行為に基づく原状回復」の両者から根拠づけられている。

(4)昨年4月に福島で行われた「『原発と人権』全国研究・交流集会」において、米倉勉弁護士は、以下のような被害実態を指摘している。
①放射線被曝そのもの
②被曝を避けるための避難による被害(避難生活の身体的負荷、避難生活の精神的苦痛、
仮設住宅等での生活にともなう被害、長期化する避難生活による被害)
③地域社会を破壊され生活の地を奪われたことによる被害(ふるさとの喪失、事業と生計の断絶、
生活の潤いの喪失、寺社・地域文化とのつながりの切断)
 また、日弁連原子力プロジェクトチームの小島延夫弁護士は、本件事故被害の特質を、①類例のない被害規模の大きさ、②被害の継続性・長期化、③暮らしの根底からの全面的破壊、④被害の不可予測性の4点をあげている(小島延夫「福島第一原子力発電所事故による被害とその法律問題」法律時報83巻9・10号55頁以下)。
 これらのうち、特に重要なことは、本件事故によって、地域における生活が根底から破壊されていることである。事故後、被害調査を精力的に行っている除本理史大阪市大准教授は、原発事故によって、それまで定住圏の中に一体となって存在していた諸機能(自然環境、経済、文化等)がバラバラに解体され、「ふるさとの喪失」という重大な損失が発生し、その結果、住民は、そのバラバラにされてしまった機能のうちどれをとるかというきわめて困難かつ理不尽な選択に直面したとする(除本理史「原発事故による住民避難と被害構造」環境と公害41巻4号36頁)。われわれの生活は、地域コミュニティの中において存在する。そして、このような生活諸条件に支えられて我々は生存(生物的な意味での生存と人間らしい生存)している。この生存が脅かされたとき、健康やさらには生命が危機にさらされる。今回の被害は、生活の基盤を奪い、それが生存の条件を脅かし、ひいては生命や健康被害につながっていくのである。このような特質をもった被害をどのように救済するかが、今日、問われているのである。
*福島原発事故における賠償問題の現段階については、除本理史『原発賠償を問う』(岩波ブックレット2013年)参照。
 
(5)筆者は、このような本件被害の特質を踏まえた損害賠償論を構築するために、さしあたりの手がかりを、従来の公害や水害における損害論に求め、そこで主張されてきた「包括請求論」の意義と課題を整理する論文をすでに公表している(「原発事故被害の完全救済をめざして」馬奈木昭雄弁護士古希記念出版(花伝社2012年)所収)。今後、それを発展させて検討を深めたいと考えているが、その際の要点は、包括請求論が、多岐にわたり、しかもそれぞれの被害が絡まり合い相乗し合っている総体を包括的にとらえる包括的・総体的損害論とも言うべき損害把握を提示したことの意義を踏まえるべきこと、包括請求論と結びつけて、損害賠償の目的として被害の完全救済や原状回復の理念が強調されてきたことである。例えば、熊本水俣病訴訟における原告はすでに、「原告が蒙った『総体としての損害』がなかった状態に回復すること」こそが原告の求めるものであり、「破壊された環境、共に荒廃した地域社会、その中で失われた家庭、破壊された人間そのものの回復を求めるのである」と主張している。
*包括請求論の内容や意義について詳しくは、拙著『人身損害賠償の研究』(日本評論社 1990年)118頁以下、165頁以下、
同『公害・環境私法の展開と今日的課題』(法律文化社2002年)286頁以下等参照。
 本件事故においては、住民に、極めて多様かつ広範な被害が発生している。それらの多様な被害は絡まりあって、生活や地域の破壊といった深刻な問題を発生させている。このような事情は、発生した被害を個々別々にとらえるのではなく、総体として(包括的に)把握することの必要性、そしてそのような総体としての被害を全体として補償し、破壊された生活を回復すること(原状回復)の重要性を示している。また、個別の損害の立証の難しさや迅速な救済という点から、個別的な損害算定・請求方式とは異なる対応の必要性も指摘されている。その際、上で検討した公害等における包括請求論が有効性を持つのではないか。もちろん、公害等における包括請求論が、人身被害を念頭において展開されてきたこともあり、本件において、それが直接にはあてはまらないことは当然である。その点を意識して、前掲論文では、物被害が中心となったケースで包括請求論の適用が主張された一連の水害訴訟での議論をも振り返り、一定の方向性を提示した。今後、この方向で、さらに検討を深めてみたい。
*水害における損害論については、沢井裕「災害における損害論」法律時報臨時増刊『現代と災害』(1977年)参照。
 
(6)放射性物質汚染は、目にも見えず、匂いがするわけでもなく、人間の五感では把握できない。また、その影響については科学的にも未解明な部分も少なくなく、今回の事態においても、安全性の基準についての「専門家」の意見は分かれ、また、政府の出した基準も二転三転している。そのような中、福島県やその周辺に生活していた住民は強い不安を抱かされることになった。このような放射線被害の「不可予測性」が深刻な問題として表れるものに、「自主避難者」への補償をどう考えるかという問題がある。
 秋元理匡弁護士は、昨年の民科法律部会のミニシンポで、次のような重要な問題指摘を行っている(この報告は、今年8月刊行予定の法の科学44号に掲載の予定)。すなわち、放射線は五感ではとらえられない(放射線の人体・環境に対する影響は科学的に十分解明されておらず、とりわけ低線量域では科学的不確実性が顕著)ため、個人の避難・滞在・帰還による損害は政府または被害者自身の判断による行動を媒介にせざるを得ないが、政府の指示に対する国民の信頼の失墜の中で、結局は各被害者が置かれた状況の中で判断せざるをえない。放射能汚染を回避したい者は避難し、様々な理由でそれができない者はとどまり、あるいは帰還する。避難すれば生活基盤を失い(従来の生活基盤の喪失、避難生活自体の苦難、新たな生活基盤確保の労苦、それらに係る費用等)、とどまれば被ばくの危険が高まる(欠損し放射能汚染されたコミュニティでの生活、放射能の危険・恐怖、被ばく防止措置の労苦、それらに係る費用等)ので、いずれの選択をしても損害の発生自体は免れない。
 非常に重要な指摘である。しかも、重大なことは、ことが各人の生活・生存に直結するぎりぎりの判断であるだけに、(地域の中で、あるいは家族の中で)しばしば意見の対立が生じ、このことが(本来、共通の不法行為によって被害を受けたはずにもかかわらず)地域や家族の分断にもつながりかねないことである。これに対応するためには、このような分断を被害者自身による選択(自己決定)の結果としてとらえるのではなく、本件事故における前述のような特質の中では、むしろ、避難するかしないかについて「選択の強要を受けることこそが共通の被害である」(藤川賢「福島原発事故における被害構造とその特徴」環境社会学研究18号45頁以下)ととらえ、一方で「避難する権利」を認め、それを実現するための支援を保障することと、他方で「とどまる論理」をも正当なものとし、それに見合った補償を与えることが必要なのではないか。
*「避難する権利」については、河崎健一郎他著『避難する権利、それぞれの選択』(岩波ブックレット2012年)参照。
 このような視点からは、「指針」が、第一次追補で、放射線被曝への恐怖や不安により自主的避難対象区域内の住居から自主的避難を行った場合における、①自主的避難によって生じた生活費の増加費用、②自主的避難により、正常な日常生活の維持・継続が相当程度疎外されたために生じた精神的苦痛、③避難及び帰宅に要した移動費用の賠償を認め、あわせて、放射線被曝への恐怖や不安を抱きながら自主的避難対象区域に滞在を続けた場合の、①放射線被曝への恐怖や不安、これに伴う行動の自由の制限等により、正常な日常生活の維持・継続が相当程度阻害されたために生じた精神的苦痛、②放射線被曝への恐怖や不安、これに伴う行動の自由の制限等により生活費が増加した分の賠償を認めたこと、しかも、上の両者を同額として算定するのが「公平かつ合理的」としたことは重要である。ただし、平成23年12月末までの賠償として、子供および妊婦が40万、その他は8万円という金額が、本件における避難者の受けた深刻な精神的被害として妥当なものといえるかどうかは、大いに疑問である。
 被害の「不可予測性」からくるこのような問題を損害論や保護法益論においてどう受けとめるべきか、今後、さらに検討してみたい。

(7)以上、福島原発事故による被害救済のために考えるべき幾つかの点を指摘した。これ以外にも、損害論としては、いわゆる「風評被害」の問題があり、また、効果論として、原状回復(除染等)請求の可否といった重要な問題もある。さらに、本件事故に関する責任要件(東電の責任の根拠規定は原賠法か民法か、前者の場合の3条但書適用の可否、後者の場合の東電の注意義務違反の問題、原賠法における「責任集中」と国の責任の関係、国の規制権限不行使責任の存否等)に関する問題においても、なお、解明すべき点が少なくない。時間の経過とともに、時効の問題も深刻になる恐れが強い。これらの点を含めて、さらに検討を深めていきたいと考えている。
 

 

 

今月のコラムインデックスに戻る

ページの先頭へ戻る