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今月のコラム 二宮周平(2013年8月)  夫婦別姓訴訟、控訴審のステージへ

夫婦別姓訴訟とは

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二宮周平(専門分野:民法・家族法)

 民法750条は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定する。夫婦同氏制度である。2011年に婚姻の届出をした夫婦の内、96.2%が夫の氏を称しており、妻の氏を称する夫婦は3.8%である。圧倒的に女性が結婚に際して改姓しているが、自分の氏名に愛着があり、結婚しても自分の氏名のままでいたいと思う人もいる。

 こうした人たちは、婚姻の届出をした上で、旧姓を通称として使用したり、婚姻の届出をしないで共同生活(事実婚)をしている。しかし、前者は、パスポート、給与・税金・社会保障などで戸籍上の氏名の使用を強制されるなど、2つの氏名の使い分けという負荷があり、後者は、法律上の婚姻ではないため、子どもが婚外子となったり、相続権がなかったり、税法上の特典(所得税の配偶者控除、相続税の減免等)がないなどの不利益が生じる。もし婚姻に際して、夫婦同氏、夫婦別氏を選択できる制度があれば、上記のような不利益を受けないですむ。女性の社会的な活動が進むにつれて、選択制への要望が高まった。

 1996年、法務大臣の諮問機関である法制審議会は、選択的夫婦別氏制度の導入を含む民法改正案要綱を答申した。しかし、未だに政府から国会に上程されていない。この間、議員立法案は、衆議院で6回提出され、参議院で12回発議され、いずれも廃案になっている(坂本洋子「別姓訴訟~立法不作為の違法性を問う!」時の法令1933号(2013)46~59頁参照)。こうした状況に納得のいかない5名の人たちが、国会議員の立法不作為により精神的損害を被ったとして、国に対して損害賠償を求める訴え(国家賠償請求)を起こした。これが夫婦別姓訴訟である。

 夫婦別姓訴訟の原告団長、塚本協子さんは、「別姓訴訟を支える会」のパンフレットにおいて、次のように記述している。

 「50年も法制化を待ち望んできました。富山で請願署名を集めたり、国会に陳情に行ったりと長く国会に働きかけてきました。しかし、いつまでたっても政治は動いてくれません。私も75歳になり、去年できたことが今年はできないということが少しずつ増え、自分に遺された時間が少なくなっていることを感じます。私、塚本協子は塚本協子と名乗り、そう呼んで欲しいです。別姓で結婚できるように認めてほしいのです。塚本協子として生き、逝きたいです。」

 

第1審判決(東京地裁平25〔2013〕・5・29)の問題点

 東京地裁は、立法不作為に基づく国家賠償の前提となる民法750条(夫婦同氏制度)の合憲性審査をしないまま原告の請求を棄却している。「夫婦同氏制度合憲」という趣旨の報道をした新聞やメディアがあるが、本判決は合憲性の審査をしていないことに注意して欲しい。

 他方で、本判決は、夫婦同氏強制で不利益を受ける人たちがいることを認めたり、750条の立法過程で、夫婦同氏が婚姻制度に不可欠のものであるとも、婚姻の本質に起因するものであるとも説明されていないことを確認したりしており、もう一歩踏み出せば、氏名に関する人格権が憲法13条で保障されていること、夫婦同氏の強制が「婚姻の自由」を侵害することなどの結論を導くことができたように思う。以下、簡単にその説明をしたい。

 原告の請求の骨子は、①憲法13条は人格権としての「氏の変更を強制されない権利」を保障しており、民法750条は、これを侵害すること、②憲法24条により保障されている「婚姻の自由」を侵害すること、③条約は国内法としての効力を有することから、750条は、女子差別撤廃条約16条1項(b)〔婚姻の自由〕、(g)〔夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む)〕に違反することが明白であるにもかかわらず、国会議員は、選択的夫婦別氏制度を設けることが必要不可欠であるのに、正当な理由なく長期にわたって立法措置を怠ってきたのだから、国家賠償法1条1項の違法な行為に該当するというものである。

 氏名が人格権の一内容を構成することは、最高裁判例が述べるところである。「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきである」(最高裁昭63〔1988〕・2・16判決・民集42巻2号27頁)。

 氏は単に個人の呼称というだけではなく、名と結合することによって社会的に自己を認識させるものであり、自己の人格と切り離して考えることができない。氏名には一人ひとりの思い、生き方、その生活史が込められている。これらの思いを大切にする論理が「人格権」であり、人格にかかわることだから、何よりも本人の意思が尊重されなければならない。したがって、婚姻に際してどちらかに改姓を強制するのは、人格権の侵害ということになる。また改姓を避けるために婚姻できないとすれば、婚姻の自由を侵害したことになる。

 これに対して、東京地裁は、①立法不作為の違法性とは、国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合であり、「婚姻に際し、婚姻当事者がいずれも婚姻前の氏を称する権利が憲法上保障されていることが不可欠」だとして、上記権利の検討をするが、氏名が人格権の一内容を構成する最高裁判決を引用しながら、氏名について憲法上の保障が及ぶべき範囲が明白であることを基礎づける事実は見あたらず、婚姻前の氏を称する権利が憲法13条で保障されている権利に含まれることが明白であるということはできないとする。②さらに憲法24条は立法の指針を述べたものであるとして、「婚姻の自由」の侵害という論点には何も応えない。③女性差別撤廃条約は、国民に直接権利を付与するものではないとして、立法不作為の判断基準としない。

 しかし、一方で、「氏を変更することにより、人間関係やキャリアの断絶などが生じる可能性が高く、不利益が生じることは容易に推測し得ることであるから、婚姻について選択的夫婦別氏制度が採用されることに対する期待が大きく、これを積極的に求める意見の多いこと」を認めている。人格権は個人の尊重に密接不可分の権利であり、憲法13条で保障されているのだから、氏名が人格権の対象である以上、氏名に関する権利は憲法上の保護を受けるものといえる。この論理を採用すれば、上述の認識は、まさに「氏名について憲法上の保障が及ぶべき範囲が明白であることを基礎づける事実」に他ならない。

 原告は、自己の意思に反して「氏の変更を強制されない権利」を根拠とする。氏名が人格権の一内容を構成することから論理的に導かれる権利であり、憲法13条の対象とすることに結びつく。これに対して、東京地裁は、「婚姻に際し、婚姻当事者がいずれも婚姻前の氏を称する権利」が憲法上保障されていることが不可欠であるとする。原告が主張しない権利を措定する点、人格権としての法的構成を矮小化して、憲法上の保障はされていないという結論を導くための権利構成である点で、問題がある。

 

控訴審へ向けて

 1947年の民法改正当時、1996年の民法改正案要綱答申当時、2013年で何が異なるだろうか。1つは、氏名は人格権の一内容を構成するという判例法理である。夫婦同氏制度は、自分の氏を変えたくない人に氏の変更を強制する点で人格権を侵害する。原告が主張するのはこの点である。だから、「氏の変更を強制されない権利」として、個人の尊重を規定した憲法13条の保護対象となり、家族に関する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないという憲法24条2項の「個人の尊厳」の保護対象となる。したがって、民法750条は、憲法13条、24条2項に違反する。

 2つは、女性の生き方の多様性である。仕事と家庭を両立させ、職業活動を継続する女性が自然のこととなり、婚姻しても氏は婚姻前の氏を称したいと思う人がいる。同氏の強制は、こうした人たちの婚姻の自由を侵害する点で、明らかに憲法24条1項に違反する。

 控訴審である東京高裁は、まずこうした750条の合憲性を審理すべきである。少なくとも、原告の主張と異なる権利を自ら設定するといった不誠実な対応をすべきではない。

 国会は選択的夫婦別氏制度を含む民法改正を進めようとしない。婚外子の相続分差別については、最高裁判所が事案を大法廷に回付し、弁論も開かれ、何らかの違憲判断をする可能性がある。別姓も婚外子差別も国連のさまざまな委員会(規約人権委員会、女性差別撤廃委員会、子どもの権利委員会)から法改正を勧告されている。少数の人たちの問題かもしれないが、人権保障と21世紀の家族のあり方を問う重要な問題である。判決を待たなければ事態が進まないということに対して、国会議員の責任は大きいように思う。

(私見については、二宮「人格権から見た選択的夫婦別氏制度(1)(2)」戸籍時報687号(2012)52~63頁、690号(2012)2~16頁参照)

 

 

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